中国ドラマ「王家の愛-侍女と王子たち-」は、清朝が起きる前の後金の時代を背景に、ヌルハチの後継者争いと侍女と王子の許されざる愛を描いた物語です。
歴史ドラマを見ると、すべてが史実だと勘違いしてしまったりしますが、だいたいのドラマがフィクションであり、史実と異なったことが出てきます。
私は、歴史ドラマを見るときにすぐに史実ではどうだったのかな。と考えて検索してしまうので、この記事では、私と同じように感じる方がいれば共感したいと思い、私が感じる中国ドラマ「王家の愛-侍女と王子たち-」の気になる事について調査しています。
個人的な考えも入っていますので、そこはご了承ください。
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スマラって実在するの?
中国ドラマ「王家の愛-侍女と王子たち-」の主人公は、ホルチン部の草原に住む少女スマラとなっています。
普通に考えたら、皇族でもないただの草原のスマラは架空の人物だと思うのですが、実は、スマラは実在の人物らしいのです。
実際に、ホルチンからブムブタイの侍女として後金に渡り、生涯独身でブムブタイに仕えた侍女だったようですよ。
しかも、ブムブタイより長生きしたらしく、ブムブタイの孫である康熙帝からの信頼も厚かったため、母親を早くに亡くした康熙帝の第十二皇子は、このスマラに育てられたのだとか…。
すでに侍女の域を超えているような待遇ですね。
康熙帝の第十二皇子は、スマラに育てられたおかげでどの派閥にも属さず、九王奪嫡にもかかわらずに済んだという話ですよ。
ただ、この「王家の愛」のように、王子たちと恋に落ちたということはたぶんなかったと思われます。
実際にいたスマラをモデルにしているだけで、内容的にはフィクションということですね。
ヌルハチの後継者争いはホンタイジVSドルゴン?
中国ドラマ「王家の愛-侍女と王子たち-」では、ヌルハチは後継者をホンタイジに指名して息を引き取りますが、実際にはどうだったのでしょう。
ドラマの中では、ホンタイジかドルゴンの2人が有力候補のように描かれていますが、史実ではかなり違うようです。
実際にはホンタイジとドルゴンは、年齢的には20歳も離れていて、ヌルハチの治世でもホンタイジは四大ベイレと呼ばれるヌルハチに次ぐ大臣の4人に所属していたのに対し、ドルゴンは四小王というワンランク下の位にいました。
ただ、ドルゴンはヌルハチが最後に寵愛していたアバハイの息子だったこともあり、たぶん可愛がられてはいたのだと思われます。
ヌルハチが死んだとき、ドルゴンはまだ15歳だったけれど、四小王になっていることからもうかがえますね。
でも、アバハイにはアジゲとドドという他の息子もいたのに、何でドルゴンがよくホンタイジのライバルとして出てくるのかというと、たぶんホンタイジの後の治世でドルゴンが摂政王として権力を握ったからなのではないかと考えられます。
どちらかというと、ドルゴンは、ホンタイジの息子のホーゲとライバルだったというのが、史実のようですよ。
また、ヌルハチの後継者争いでいうと、ホンタイジのライバルは四大ベイレの中でヌルハチの息子であるダイシャンかマングルタイだったと思われます。
史実では、ヌルハチは後継者を指名せずに死んでしまったので、四大ベイレの中から話し合いで決めたようですよ。
ブムブタイはホンタイジのことを好きじゃなかったの?
中国ドラマ「王家の愛-侍女と王子たち-」に出てくるブムブタイは、史実では後の孝荘文皇后で、ホンタイジ、順治帝、康熙帝と三代の皇帝の輔佐した女性として有名です。
後の功績を見てみると、ホンタイジにとても寵愛され、ブムブタイもホンタイジを支えていたのだろうな。と考えてしまいますが、実際にはこのドラマのように、ホンタイジからもそこまで寵愛されていなかったし、ブムブタイ自身もホンタイジが好きで嫁いできたわけじゃなかったと考えられます。
なぜなら、史実でもドラマでもそうですが、叔母の夫に好きで嫁ぎたい人はいないだろうし、ホンタイジとブムブタイは年齢的には21歳も離れているということなので、実際にドラマのようにいやいや嫁いできたというのが当てはまりそうです。
ドラマではホンタイジの即位後に嫁ぎますが、史実では13歳でヌルハチの八男であるホンタイジに嫁いでいますよ。
ヌルハチは、姻戚関係を次々と結ぶことによって、領土を広げ、他の部族たちとの間を強固なものにしてきたので、自分の息子たちにも政治的な意味合いで次々に他部族の娘を娶らせていました。
そんな環境に育ってきたホンタイジは、たくさんの女性が嫁いできても、恋とか愛とかそういう感じにはならなかったでしょうね。
結局、ブムブタイは後の順治帝であるフリンを生んだことで大出世をするわけですが、別にホンタイジから寵愛を受けていたからというわけではなさそうです。
この時代の妃たちにとって、息子を生むことがどんなに大事だったかということがこのことからもわかりますね。
ちなみに、皇后であったブムブタイの叔母であるジェルジェルは、ドラマと同じように史実でも女子しか産めず、後世にも孝荘文皇后の叔母という名の残し方しかできませんでした。
その時代の立場がどうであっても、息子を生まないと名は残せないということですね。
ハルジョルはリンダン・ハンの大福晋だった?
中国ドラマ「王家の愛-侍女と王子たち-」の中で、ジェルジェルの姪でブムブタイの姉であるハルジョルは、リンダン・ハンに嫁いだ後、ホンタイジの妃になっています。
実際に、リンダン・ハンの死後、ホンタイジは、リンダン・ハンの妻であったナムジョンとバトマゾーというブムブタイたちと同じ姓であるボルジギド氏を娶っていますが、ハルジョルではありません。
ということは、ハルジョルがリンダン・ハンの大福晋だったというのは、ドラマの中だけの話です。
しかし、ハルジョルは、26歳という年齢でホンタイジに嫁いできたということを考えると、その前に誰かほかの人と結婚していたと考えられますね。
当時は、10代前半で嫁に出される風習でしたので…。
ブムブタイの姉ということなので、その当時の結構な権力者の妻だったのではないでしょうか。
歴史は、戦で勝った人のことしか残らないので、当時権力があっても、後に滅ぼされていたら何も残りませんからね。
このドラマでは、史実だと、ハルジョルがホンタイジに嫁いでくる前のことがわからないので、同じボルジギド氏だったナムジョンやバトマゾーの経歴を合わせたのではないでしょうか。
ちなみに、モンゴルでは、漢人と違い、正妻は一人だけという習慣がなかったため、妻の序列も特になかったみたいですよ。
ホンタイジの時代に、漢人の習慣を取り入れて、正妻と側女という区別をつけたみたい。
ホンタイジは誰を寵愛していたのか?
政略結婚が当たり前のこの時代、好きな人と結婚することはまずできなかったと考えられますが、皇帝であるホンタイジは、どの妃を一番寵愛していたのでしょうか。
もちろん、寵愛するのも気に入っているからという理由のほかに、その妃の出目がいいからというのも十分に考えられます。
実際、皇后であるジェルジェル、皇后の次の位の東福晋がハルジョル、西福晋はブムブタイと、ホルチン部の3人が後宮の皇位を占めていました。
ホンタイジは、ホルチン部との関係を重要視していたのでしょうね。
中でも、一番後から嫁いできたハルジョルのことはとても気に入っていたようで、ハルジョルが病に倒れた時、遠征に行っていたホンタイジは急遽帰ってきたという逸話がありますよ。
ハルジョルが長生きして息子を生んでいたら、孝荘文皇后の座には、ハルジョルがついていたかもしれませんね。
ちなみに、ドラマの中に出てくる燕側妃は、離縁されてしまったジャルート・ボルジギド氏がモデルなのではないかなと勝手に思っています。
ホンタイジは、この東福晋だったジャルート・ボルジギド氏と離縁した後、ハルジョルを東福晋にすえ替えたという史実なので、ドラマの流れにあっているような気がしました。
中国ドラマ「王家の愛」史実ではどうなの?【まとめ】
今回は、中国ドラマ「王家の愛-侍女と王子たち-」を視聴して、史実ではどうなのかな。と感じたことを調べてみました。
実際の出来事とドラマでの出来事を比べながら視聴すると、さらに面白く見ることができますね。
また、他のドラマと合わせてみると、この時代のことがさらにわかり、歴史ドラマの沼にハマります。
この時代のドラマは、「宮廷の泪・山河の恋」や「皇后の記」、「孤高の皇妃」などがありますよ。
それぞれ、主人公がブムブタイだったり、ハルジョルだったりと違うので、いろんな目線でこの時代を楽しむことができます。
興味のある方は、ぜひ視聴してみてくださいね。
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