史実ではどうなの?「大明皇妃-Empress of the Ming-」気になる事柄を調査!

スポンサーリンク
大明皇妃-Empress of the Ming-

明朝の実在した皇后の一代記を描いたドラマ「大明皇妃」ですが、実際の史実と比べてどこが事実で、どこら辺がフィクションなのでしょうか。

「大明皇妃」を視聴して気になった点をいくつか調べてみたので、同じく気になっている方は一緒に見てみてくださいね。

いつも思いますが、史実にフィクションを混ぜるのって難しい気がするのですが、脚本を書く方はとても想像力豊かだなと思います。

「大明皇妃」の概要を知りたい方や感想が見たい方は下記の記事も合わせてご覧ください。

権力争いに巻き込まれる皇后「大明皇妃-Empress of the Ming-」あらすじ&動画視聴
中国のトップ女優であるタン・ウェイが出演して話題となったドラマ「大明皇妃-Empress of the Ming-」。6代7人の皇帝とかかわりを持っていく女性の生涯を描いた作品です。この記事では、「大明皇妃」の概要や動画視聴方法を紹介しています。
「大明皇妃-Empress of the Ming-」感想(ネタバレ含む)
明朝の最盛期であった永楽帝から国の危機を乗り越えた時代天順帝の時代までを生きた女性の一代記を描いたドラマ「大明皇妃」の感想を紹介しています。この記事を読んで共感をしてくれる方がいたらうれしいです。まだ見ていない方はネタバレ含みますので、ご注意ください。
スポンサーリンク

宣徳帝の妃って…姉妹?

「大明皇妃」の主人公である若微は、宣徳帝の即位前皇太孫時代に嫁ぐわけですが、同時期に離れ離れになっていた妹(姉妹だとは本人たちしか知らない)も一緒に嫁いでいます。

中国の歴史上、姉妹や叔母と姪が同じ皇帝に嫁ぐことはよくあります。

しかし、史実上では宣徳帝の妃は姉妹ではなく他人です。そして、ドラマと同じように皇后になった胡善祥よりも孫氏のことを寵愛していたようですよ。

それなのになぜ、胡善祥が正室となったのかはよくわかりませんが、家の格とかいろいろな要素があったのでしょうね。

さらに、ドラマには妃は2人しか出てこないのですが、宣徳帝には他にも何人も妃がいたことも史実とは違うところですね。

スポンサーリンク

胡善祥が皇后を廃された本当の理由

最初に宣徳帝の皇后になった胡善祥ですが、ドラマでも史実でも後に廃后になっています。

ドラマでは、結婚前の不祥事が露見して廃されてしまいますが、史実ではどうなのでしょう。

皇后であった胡善祥は、宣徳帝との間に皇子が生まれなく、代わりに貴妃であった孫氏に皇子が生まれます。

もともと寵愛されていなかった胡善祥は、寵愛を一心に受ける孫氏に皇子が生まれたことによって「病弱で皇子が生めない」という理由で廃されてしまうのです。

歴史上では、皇子のいない皇后だって結構いると思うのですが、そんな理由で皇后を廃された上に出家させられてしまうというかわいそうな妃だったようですね。

ドラマでは、後の景泰帝の母になっていますが、実際は呉氏が母親です。なので、このドラマの胡善祥のモデルとしては、呉氏と胡善祥を足した感じなのだと思います。

宣徳帝の母・張皇太后は人徳者

そして、廃后になった胡善祥を擁護したのは、張皇太后だったと言われています。出家させられてしまった胡善祥を不憫に思い、自分の居所に呼んで不自由ない暮らしをさせてあげたのだとか…。

ドラマの張皇太后は、はっきり言ってそんないい人ではなかったですよね。
むしろ、災いを呼び込む感じで、悪の根源のような…。

最初こそ、賢妻という感じでしたが、宣徳帝が崩御してからは、正統帝を甘やかしすぎる祖母に、弟のやりたい放題を留められない姉という顔を持ち、若微と常に敵対している義母でした。

でも、実際は、正統帝が幼くして即位したときに太皇太后や三楊と呼ばれる大臣のおかげで、明は国を守ることができたと言われています。

この太皇太后や三楊が老いていなくなってしまってから、正統帝のやりたい放題が始まって、国が傾いたというのが史実みたいですね。

宦官・王振って実は…

成人してからの正統帝は、側近である宦官の王振しか信頼できる人がいなくて、王振の言いなりになっていきます。

この点は、ドラマは史実に基づいていると思われますが、ドラマでは親友のように描かれていた王振ですが、本当は正統帝の教育係として任命されていた正統帝とは歳の差があるおじさんでした。

しかも、政治に対して何の理念もなく、金もうけのために宦官になったという強欲な男だったのです。

正統帝は、孤独な中に媚びを売ってくる王振のいうことを真に受けて様々な失敗を繰り返します。

一番は、宦官である王振を大将軍に立ててオイラトに親征したこと。

結局、武人でもない王振を大将軍に立てたことが災いして自身が捕虜になるという結果に…。

王振はドラマ同様に、樊忠に殺されたようですが、もっと早くこの男を始末してくれる誰かはいなかったのだろうか。と思ってしまいますね。

歴史では、宦官が権力を持つと本当にいいことがないことが分かっています。

エセンは何で皇帝を殺さなかったのか?

結局、王振のせいというか、自業自得でオイラトの捕虜になってしまった正統帝・朱祁鎮ですが、殺されることなく約1年後に北京に帰ることができました。

どうして、オイラトのエセンは皇帝を殺さなかったのでしょうか?

ドラマでは、エセンの娘であるチムゲが朱祁鎮のことを気に入り、守っているように描かれていますが、これは完全にフィクションです。

本当のところはよくわかりませんが、オイラトは別に北京に侵攻したかったわけではなく、貿易について不満があったことが理由で戦っていたので、皇帝を殺さずに自分たちに有利になるように事が運ぶようにしたかったからだと言われていますね。

たぶん、本気で戦えば明に勝てるわけがないので、皇帝を人質にして自分たちの意見を通そうとしたということなのでしょう。

まとめ

今回は、中国ドラマ「大明皇妃」の史実ではどうなのか気になる点をいくつか調べてみました。

歴史ドラマを見てると、これって本当に歴史の話なのかなとどうしても気になってしまいます。

他にも細かい気になる点はありましたが、この記事で調べたことで納得できることが少しでもあればうれしいです。

中国の歴史って本当に面白い!

このドラマを見て面白いと思ったら、他の歴史ドラマも是非ご視聴くださいね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

コメント

  1. えみ より:

    その通りですね。ドラマとしては堪能しましたが、史実とはかなり乖離していました。
    むしろこれを史実だと思い込む聴衆が多くて歴史が捻じ曲げられるんじゃないかと心配すらします。
    史実では張皇太后は農家出身ではありますが、あるサイトによると、孫皇后をリクルートして教育し、永楽帝が推薦した胡皇后が廃位された後も皇后として礼を尽くしたとか、宣徳帝の視察にも同行したとか、影響力があったようです。また宣徳帝が戦争の後遺症で判断力が無くなったという話も無いようです。そして張皇太后の兄弟は将軍として戦死したそうだし、自身も孫が即位した年に亡くなっているので、親族の蛮行を放置したという事実も無いようです。
    むしろ、1年未満しか皇帝の地位にいなかった洪熙帝の皇后張氏を主人公のしてドラマを作って欲しいくらいです。また永楽帝には朝鮮人の貢女で妃になった人が多数いましたが、寵姫だった朝鮮人妃を殺害した罪で朝鮮人妃嬪4名が処刑又は自殺で亡くなり、残った朝鮮人妃嬪も約10年後の皇帝崩御時に多くの妃嬪や侍女と一緒に殉死させられたそうです。朝鮮が女を貢物にしていた歴史は本当に長いようですね。
    それから名医明妃伝の明妃は景泰帝の第2皇后をモデルにした架空の人物でしたが、このドラマによると、この時代が最も女性の地位が低くて女医が男性患者の患部を触る事さえタブーとされていたとか。
    かっこいい女性のドラマはいいと思いますが、史実と乖離した話に歴史的人物の名前を使うのは良くないと思いました。

    • ラン パイホァ より:

      コメントありがとうございます。また、詳しい歴史の話ありがとうございます。この時期のドラマとしては最近「尚食」というドラマを視聴しましたので、また紹介したいと思いますが、描き方が「大明皇妃」とまた違っていて面白かったですよ。いろんな見解があると思いますが、史実を知ってドラマを視聴する方が増えるといいなと思います。

タイトルとURLをコピーしました